【武蔵小山住民 必読!】星野博美『世界は五反田から始まった』に触れて、武蔵小山の景色が変わった話。

「世界は五反田から始まった」の表紙

きっかけは私の親でした。
武蔵小山周辺の歴史を知るために”ある本”を読んでいる、と聞きました。

「私は武蔵小山の歴史を全然知らない」
と、改めて気付かされました。

毎日歩いている見慣れた商店街、ふとした角にある古びた建物、あるいは最新のタワーマンション。その場所に、かつてどんな「生」が、どんな「汗」があったのかを、私たちはどれほど知っているでしょうか。

今回、私は一冊の本を通じて、自分が今立っている地面の「層」を深く掘り下げるような体験をしました。星野博美さんの著書『世界は五反田から始まった』(ゲンロン叢書)です。第49回大佛次郎賞を受賞した本作は、多くの書評家が「ミクロストリア(微視的歴史)の傑作」と絶賛していますが、読み終えた今、その言葉の重みがずっしりと胸に残っています。

もともとは、自分の住む街・武蔵小山の歴史を知りたくて手に取った本でした。しかし、そこには単なる「郷土史」を超えた、人間の生存の記録と、逃れられない時代のうねりが描かれていました。

目次

祖父の手記が呼び覚ます「大五反田」という宇宙

著者の星野博美さんは、五反田駅を中心とした半径約1.5kmほどの生活圏を「大五反田」と名付けました。山手線の南側に位置するこのエリアに対する、執拗ともいえるほどの愛着と好奇心が、この物語の原動力です。

物語の羅針盤となるのは、星野さんの祖父・量太郎さんが遺した一冊の手記でした。千葉の貧しい漁師の息子だった量太郎さんが、大正5年(1916年)に志を抱いて上京し、五反田の地で町工場「星野製作所」を創業するまでの歩み。それは一見、どこにでもある一家族のファミリーヒストリーに見えます。

しかし、星野さんが祖父の手記の「空白」を埋めるように資料を漁り、歩き、調査を重ねていくと、驚くべき景色が浮かび上がってきます。現代の私たちにとって五反田は「飲み屋街」や「オフィス街」のイメージが強いかもしれませんが、かつてのここは、日本の命運を担う軍需産業の集積地だったのです。

祖父の小さな町工場もまた、戦闘機の部品を作るような国家規模の巨大なピラミッドの末端に組み込まれていました。星野さんは、現在のきらびやかなタワーマンションの風景の下に眠る、油の匂いと鉄の音が響く「工場の街」の記憶を、鮮やかに掘り起こしていきます。

プロレタリア文学の足跡と、歴史の二面性

調査が進むにつれ、五反田周辺が文学的な舞台でもあったことが明らかになります。小林多喜二の『党生活者』や、宮本百合子の『乳房』。そこには、当時の過酷な労働環境や、それに対する抵抗、そして庶民を支えた託児所の存在などが描かれています。

私が深く考えさせられたのは、この「軍需産業の拠点」という側面と「労働運動の拠点」という側面が、同じ地図の上で、同じ時間軸の中で複雑に絡み合っている点です。歴史において、庶民は常に翻弄される「被害者」である一方で、生活のために軍需品を作るという「加害者」的な構造の一部にもなり得る。星野さんはその二項対立では割り切れない現実を、冷徹に、かつ温かな眼差しで捉えています。

武蔵小山と満州、そして「失われたもの」

本書を読み進める中で、私が最も熱心に、そして胸を締め付けられる思いで読んだのが、やはり馴染みのある「武蔵小山」についての記述です。

今や東京屈指の活気あふれるパルム商店街。そこを歩く時、かつてこの場所で商売をしていた人々が、集団で「満州」へ渡った歴史を意識する人はどれほどいるでしょうか。戦時中の統制経済や、空襲に備えた「建物疎開」によって、住む場所も商売の糧も奪われた武蔵小山の商店主たちは、生きるために「荏原郷開拓団」を結成し、大陸へと向かいました。

しかし、その結末はあまりにも過酷でした。多くの人々が、異郷の地で命を落とし、二度と武蔵小山の土を踏むことは叶わなかったのです。星野さんは、その一人ひとりの足跡を辿り、都市部の住民が直面した「もう一つの戦争」を浮き彫りにします。毎日見ている商店街の明るい照明の背後に、これほど重い歴史が横たわっていることに、強い衝撃を受けました。

「城南空襲」に見る、生存のためのリアリズム

1945年5月24日、五反田や武蔵小山を含むこのエリアは「城南空襲」によって壊滅的な被害を受けました。あたり一面が焼け野原となったこの惨劇の中で、星野さんは一つの「救い」とも言える分析を提示しています。

この空襲での死者数は、あの悲惨な3月10日の東京大空襲に比べると、桁違いに少なかったという事実です。その理由は、当時の国が強いた「逃げずに消火せよ」という理不尽な命令や、周囲の同調圧力に屈することなく、住民たちが「消火を諦めて、全力で逃げる」ことを選んだからでした。

3月10日の惨禍を教訓に、「何よりもまず、命を守る」というリアリズムを選択した人々。そこには、綺麗事ではない、人間の生存本能と知恵がありました。著者の祖父・量太郎さんが伝えたという教えもまた、強烈です。

「ここが焼け野原になったら、ただちに戻って敷地の周りに杭を打て」

混乱に乗じて土地を奪おうとする者から、自分たちの生活基盤を守り抜く。それは、欲望がむき出しになった極限状態における、究極のサバイバル術でした。この執念こそが、戦後の目覚ましい復興を支えるエネルギーになったのだと感じずにはいられません。


現代を生きる私たちが受け取るバトン

この本がこれほどまでに支持され、多くの人の心を捉えて離さないのは、描かれている内容が「過去の記録」に留まっていないからだと感じました。星野さんがこの物語を紡いでいた時期は、奇しくもコロナ禍による自粛生活や、ウクライナ侵攻が始まった時期と重なっています。

「不要不急」という言葉で自由が制限される空気感、そして海の向こうで起きている戦争。それらは、かつて祖父たちが直面した「個人の力が及ばない巨大な力」と通底しています。私たちは、歴史の延長線上に立っており、今この瞬間もまた「歴史」の一部なのだということを、星野さんは突きつけてきます。

パルム商店街の賑わい、街角の小さな町工場の名残、そして再開発で姿を変える五反田。それらすべてが、誰かが必死に守り、杭を打ち、繋いできたバトンの結果なのです。


まとめ

武蔵小山パルム商店街

『世界は五反田から始まった』を読み終えた今、私は改めて自分の住む街を見渡しています。かつてここで生き、悩み、そして必死に逃げ延びた人たちがいた。その頑張りのおかげで、今の平和な景色がある。

その事実を噛みしめると、ただ漫然と過ぎていく日々の生活が、とても愛おしく、価値のあるものに感じられます。過去の記憶を掘り起こすことは、単に懐かしむことではなく、「今、なぜ自分がここにいるのか」という問いに対する答え合わせのような作業でした。

著者の星野さんは、半径数キロメートルの極めてパーソナルな場所からでも、確かに「世界」は始まっていると説いています。であれば、私の日常もまた、何かの始まりであり、誰かの未来につながっているのかもしれません。

先人たちが命がけで繋いでくれたこの場所で、日々の生活を全力で満喫し、自分の「杭」をしっかり打って生きていきたい。そんな静かな、しかし強い決意をさせてくれる、唯一無二のノンフィクションでした。

「世界は五反田から始まった」の表紙

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